ムウマージ


SAIではじめて描いてみました。レイヤーのマスク分けがどうにもうまく行かず、挫折しました。親切な描き方講座もたくさんあるし、それを見ながらやればできるだろうと思ってたんですが、甘かったです。公式ガイドブックを買ったのでじっくり読んでみます。
ポケモンポケモンの姿でじゅうぶんにかわいかったりカッコ良かったりするので、擬人化というのもヤボなもんだわ、と思いつつも、元のデザインをどう変換していくかという作業もまた楽しいもの。面白い遊びだと思ってます。
ムウマージはゴーストタイプなので顔色が悪いです。

新しいパソコン

ちょっと前からパソコンの調子が悪くて、画面がピンクになったりしてたもんだから新しいのを買いました。そしたら画面がまぶしくてねぇ。白くてねぇ。参りました。
今まで、撮った写真をパソコンで見てみると、暗くて使えないものばかりだったもんで、せっせと色調を変えたりしてたんですが、単にパソコンの画面が暗くなっていただけということがわかってショックでした。苦労して色調を変えた写真、新しいので見たらみんな白っぽいの。絵だってみんな色が薄くて白っぽくてヤんなります。こんな色をよしとしたわけじゃないのに!
新しいのは「ビスタ」が入ってるんですが、これだとわたしの愛用のお絵かきソフト「ペインター5.0」が使えないことも判明して、これまたショックでした。なんかもうヤんなっちゃうなー。「SAI」をとりあえずダウンロードしてみたけど、これもビスタだとちゃんと動くかわかんない、みたいなことが書いてあるし、お試し期間中に不具合がないか確かめなきゃいけないんだけど、「レイヤー」とか慣れてないので使い方がわかんなくて、勉強すんの、めんどくさー!って感じです。

「ゆれる」西川美和監督インタビュー

映画館でもらったシェイミ個体値のいいのをゲットすべくそのチェック作業をしながら、ネットで「ゆれる」の感想文を読みあさりました。監督のインタビュー記事が興味深かったので貼っておきます。
その1
その2
その3
***
そだ。「気持ち悪い」ってあんまり感想として使っちゃいけないんじゃないかと思って香川照之演じる兄のこと、「情けない」とか「みじめ」ってことばで表現してたけど、ほんとはね、すごい気持ち悪かったの!気持ち悪かった。いいひとだろうが、こんな気持ち悪い男、絶対ヤだって思った。事件後に弟に対する劣等感だとか嫉妬心だとかがあらわになるんだけど、どろどろとあふれ出るみたいにして怖かった。なんだかそういうのが、いいひとの顔してたときも、どこか透けて見えてた気がするから不思議。こころの奥底に抱えてるものって見えちゃったりするのかなあ。怖いよー。
感想文を読んでたら、「気持ち悪かった」って書いてるひとがけっこういたので、わたしも正直に書こ!って思いました。ゾンビを気持ち悪いっていうのはいいけど、「ふつうのひと」を気持ち悪いって言うのはいけないことのような気がしてしまう。

ゆれる

BSでやってたのを見ました。BLっぽいって前に誰かが書いてて、どんなんやろ?って思ってたのですが、まあそうやって見ようと思えば見えなくもないなと思いました。
***ウィキペディアのストーリー紹介

故郷を離れ、東京で写真家として活躍する弟・猛。母親の法事で久々に帰省し、兄・稔と昔の恋人・智恵子と再会する。猛と智恵子が一夜を過ごした翌日、3人は渓谷へと向かった。猛が智恵子を避けるように写真を撮っているとき、智恵子が渓流にかかる吊り橋から落下する。その時、近くにいたのは稔だけだった。事故だったのか、事件なのか。裁判が進むにつれ猛の心はゆれ、そして、最後に選択した行為とは……。

面白かった!オダギリジョー香川照之もすごーく良かった。見た目って大事。かたや東京で活躍する写真家の弟、かたや田舎で実家を継いでガソリンスタンドを経営する兄。カッコいいのとさえないのとの対比が並んだ時にぱっとわかるの。面倒見もよく人柄もよく、兄の良さっていうのもあるんだけど、現状に不満をくすぶらせている女が、どっちを選ぶかって言ったら弟だよなあ。橋の上で、女が兄のことを激しく拒絶した気持もよくわかった。自分が橋を渡ることを恐れているくせに、「チエちゃん危ないから、チエちゃん、気をつけて!」と、女にその恐怖心を転嫁して語る兄の情けなさ、頼りなさ。兄か弟か、どこかまだ迷っていた女だったけど、ゆれるつり橋の恐怖から、女にすがりつくように女のジャケットを握りしめる兄の手を見たとたん、嫌悪感が走った。
離して!
昨日まで笑ってた女なんだよ。職場で自分を頼って笑顔を向けていた女なのに、今日は嫌悪と侮蔑の表情で自分を拒絶するの。兄がかわいそうだった。だけど、女の気持ちもようくわかってつらかった。
家を出て行った弟、家を継いだ兄。それまで互いの場所にうまくおさまってるように見えていたのががたがたと崩れ始める。
逃げて飛び出していった弟、残されて負わされた兄。
自分がその場所にいることの不満だとかって、あんまり表に出しちゃうと生きにくい。すべて納得してその場所にいるひとなんていないよね。平穏に暮らしていたのに、大きくゆれて、波が立って、隠していたものがあらわになってしまった。
弟は兄に対してどういう感情を持っていたのかなあ。自分が居心地悪く、うまくやれなかった場所で、みんなに好かれてうまくやってるように見えた兄。だけどそこはそんないいところじゃないぞっていうのを鈍感な兄に教えてやりたくなった、のかな。ほんとは兄だって、そこがそんないいところだなんて思ってなかったのにね。なんとかうまくやってたってだけなのに、弟がぶち壊した。平穏を奪った。
香川照之演じる兄ちゃんの、弱くてみじめで情けない感じがすごく良かったな。

幸福な食卓

BSでやってたのを見ました。瀬尾まいこの本、三冊くらい読んだけどその中にこれもあった気がするんだけど、これまた内容を憶えてなくて自分が怖くなりました。感想文書いておかないとダメかな。記録する努力をします。
***ウィキペディアのストーリー紹介

「父さんは今日で父さんをやめようと思う。」ある朝、父さんは朝の食卓で突然言った。 母さんは家を出て、秀才の直ちゃんは大学に行かず、突然農業を始めた。そして父さんは父さんをやめた。それはいつも朝の食卓からだった。戸惑いながら生きる中学生の佐和子の前に、大浦勉学が現れた。驚くほど単純な性格の大浦だが、いつしか佐和子にとっては心の支えとなっていた。2人はそろって同じ進学校に合格し高校生活を始める・・・・。

手芸教室の宿題をやりながら適当に見てたけど、勉学くん。こんな男の子いねーよ!って思いながら針を動かしてました。なんか「こころにじんと沁み入るいい感じのセリフ」がところどころにあるんだけど、こういうのって本で読んでる分には「はっ!」とか「じーん!」とかするんだけどひとの口から出てきたとたん、しらじらしくなっちゃうのはなぜかしら。本だと、文章のリズムとか書き方でもってその作者の作った世界に浸ることができるんだけど、映画やドラマになると人間が演じることによって、作りものとリアルが混在しちゃうからなのかなあ。
中三から高校にかけての思春期の男の子や女の子がさ、異性に対して、思ったこと、感じたことを素直に口にできるもんなのかな。行動できるもんなのかな。映画、ドラマ、アニメで、ふつーにふたりでしゃべってる男女のシーンがあるたびに、この子たちのことをクラスメイトはどう思って見てるんだろうってその立ち位置が気になってしまうの。わたしが10代だったころとは時代が違うのかしらって思ったりもしたけど、「水曜日」を読んだら、あまりに、「わかる、わかる!」って思うところが多すぎて、その変わらなさにびっくりしてしまいました。
佐和子みたいなちょっとややこしい環境にいる女の子を理解して、あったかく見守ってくれる男の子は、大島弓子のまんがで読みたい。岩本ナオもちらって思ったけど、やっぱし大島弓子がいいな。
「はっ!」とするセリフに瀬尾まいこの良さは感じたけど、映画はよくわかんなかったな。ミスターチルドレンが苦手なので、最後に流れたのもうへーって感じでした。

コミュニケーション不全症候群

コミュニケーション不全症候群 (ちくま文庫)

コミュニケーション不全症候群 (ちくま文庫)

こないだのオフ会でこの本を紹介されたので早速amazonで古本を取り寄せました。「読んだ気がするけど憶えてない」と言ったら「じゃあ読んでないんですよ」とばっさり切られ、がーん!ってなりましたが、やっぱし読んだ記憶があって、でもいちいちひっかかってその頃の思い出に浸ってしまうので、ちっともページが進みません。
「おたく」という呼称がその界隈の、まだ一部でしか使われておらず、知られてもいなかったのが、宮崎事件から一気に一般のひとにも認知され流通してしまったころの話。宝島から出ていた「おたくの本」だとか、広告批評の特集で「おたく」について語られたりってことはあったけど、どれも外側から語られる「おたく」についてであって、わたしはそうした本を読むたびに、別にこんなことが説明してほしいんじゃない!ってイライラしてました。おたくの自意識が知りたかったの、と言ったところ、「この本、読んだ?」って話になって紹介されたわけですが、タイトルを言われても全然思い出せなくて、みんなが読んだ読んだ、って言ってる本を読んでないのってちょっと恥ずかしい気持ちになるよね。でもでも別に見栄張って「読んだ気がする」って言ったわけじゃないの。ほんとに読んだ気はするけど憶えてなかったの。たぶんおっきい本を図書館で借りたんだと思う。今読んでるのは文庫だけど。なんか、読みながら自分のことばっかり考えちゃって、本の内容が頭に入ってこなくて、当時もこんな風だったのかなあ。だから「読んだ」っていう記憶がなかったのかなあ。
今もまた最近読み始めたばかりのこの本の、作者の語りたい内容、みたいなのがぱっと思い出すことができません。わたしはおたくの自意識が知りたかったわけじゃなく、自分のことが知りたかったんだと思います。
まんがやアニメが好きで、まんが絵を描くことも好きなわたしは、ふつうのひとから見れば「おたく」としてくくられる。でもその実、わたしは「おたく」の中に入れなくてすごく苦しかった。パロディならわかるんだけど、そのころはやり始めた二次創作や「やおい」というジャンルがまるで受け付けなくて、「許せなかった」もんね。同人誌をやってる女の子がつけてるキラキラしたペンネームも嫌悪感のほうが強くて、気持ち悪いって思ってた。なんで素の自分とはかけ離れた、きらっきらした名前を名乗れるんだろうって不思議で仕方がなかった。その頃のわたしのペンネームって、確か「こめじるし」だった。かわいい女の子を描くことが好きだったので、そうしたジャンルに仲間を見つけようとすると、そっちはそっちでピンクハウス着て、「女の子ってね、マシュマロでできてるんだよ☆」みたいな気味の悪いこと書いてたりしてさ、もういちいちむかむかしちゃうのね。かといって男の子の同人サークルに近づくのもイヤで、だって、男目当てなんて思われたら耐えられない!!!!っていう、処女の潔癖さのようなものが邪魔をして、即売会に行くたびに、仲間は欲しいんだけど、自分の「外れてる加減」ばかり認識するはめになって暗い気持ちになっていた。のちのち知り合った同人誌をやってるひとに、そういう話をしたら、「東京の即売会にくれば、はなさんの好きそうなサークルもけっこうあったよ」と言われ、しょんぼりするのですが、当時のわたしは、東京くんだりまで本を売りに行ったら「本当のおたく」になっちゃう!と、そうした事実を作ることに恐れを抱いていて、…バカでした。
若かったころの自分って自意識が強くて、すごく不自由でした。今のほうがずーーーーーーっと自由。やりたいことをやってるって思うもの。
この本、当分読み終われそうもありません。

ハウルの動く城

先週テレビでやってたのを見ました。映画館で観たとき、ソフィーの心情がわかりすぎて泣いてしまいました。華やかで軽やかな母親や妹に比べ、なんと自分のくすんでいることか。だけど「若い女」であるソフィーは「若い女」として扱われるし、そうした視線を向けられる。美しくないわたし。兵士に声をかけられたときのかたくなな態度。劣等感故の敵意。わたしに声なんてかけないで!って思ってる。
老婆の姿になったとき、ソフィーははじめて自由になったの。「若い女」じゃなくなったから、常にだれかの視線を気にしなくちゃいけないような、評価されるような対象じゃなくなったから、すごく自由になって好き勝手なこと言って、わがままになれたの。掃除や料理には自信があったし、その能力が存分にふるえるハウルの城に、自分の居場所を見つけることができた。「若い女」じゃなくなったソフィーは男の「対象外」になることで、男のそばで自由にふるまえる力を得たの。
だけど、髪のカラーリングがうまくいかず落ち込むハウルの、「美しくなければ生きている意味なんてない」というつぶやきにソフィーは傷つき、思わず叫んでしまう。
「わたしなんて、美しかったことなんて一度もないわ!」
そうしてさらに自分の言葉に傷つき気づいてしまう。女としての自分の劣等感に。
ハウルのきれいな顔、ダメなところ、意気地のないところ。完璧で隙のないひとより全然いいと思う。助けてあげたいと思うし、自分が助けになれるとわかればすごくうれしいと思う。利用されてるって見方もできるけど、好きなひとに必要とされたらうれしいんだもん。
***
宮崎アニメは女の子のパンツが見えすぎという感想をときどき見かけるので、ソフィーのパンツが見える場面も気をつけて見てみました。だけどやっぱりいやらしいとは思わなくて、わたしは、女の子のスカートっていうのは風を表現するのにすごくいいものって思っているので、強い風の中にいるんだなあ、っていうのを感じただけでした。
それにわたし自身、ふんわりしたスカートは好きだし、風がスカートの中に入って、ふわあってふくらむのを見るとわくわくしてしまうんです。ソフィーのはいているのがドロワーズってところもかわいい。尻にぴったりとはりついた三角パンツは「いやらしい」けどフリルとギャザーがいっぱい寄ったドロワーズは「かわいい」。「大草原の小さな家」や「赤毛のアン」でもドロワーズが見えるとドキドキしたなあ。かわいくて!
最後のへん、おババのソフィーがちっちゃい子から悪魔からかかしから、モテモテ!っていうのも好きです。かかしや悪魔にはソフィーがおババには見えてなかったかもしれないけど、「若い女」じゃなくてもみんなに必要とされて、そういう場所が見つかって、ソフィー、良かったね!って思う。