あしたのジョー


三月はやることに追われてちっとも更新が出来ませんでした。だけど先週BSでやってた「とことんあしたのジョー」は欠かさず見てました。
あんまし「やおい」とか興味のないわたしでしたが、ジョーは見ていて、ちょっとそういうのを連想させる場面が多すぎて、うーむって感じでした。
段平もやたら「わしのジョー!」とかって叫ぶし、西もジョーにべたべたしてるし、力石もジョーと男の世界を築き上げちゃってるし、そんな力石に対するジョーも素直になれない態度がわかりやすすぎてかわいいし、こどもの頃見たきりでしたが、ジョーってこんな話だったっけ?ってくらい、違って見えました。それぞれの人物の心情を表現する演出が細かいんですよね。こんなの、こどもが見てもわかんないと思うなあ。
わたしが中学生のとき、「JUNE」という雑誌が創刊されて、興味本位で背伸びして買ったんだけど、いまいち意味がわからなくて、その中に見開きで、当時の少年まんがやアニメのキャラクターがエッチな風に描かれているページがあって、009と002が抱き合って地上に落ちていくあの名場面なんかもあったんだけど、深読みの出来ない中坊にはさっぱり意味がわからなかった。「だから、何?」ってくらい。その片隅にジョーと段平だったかの絵もあったんだけど、ボクサーだから裸なのは当たり前だし、「んー。だから、何?」ってこれもまた思ったんだった。
大体ともだちに借りて読んでいた「風と木の詩」だって、いまいちよくわからないままに読んでいたし、裸でいやらしー!とか、男同士でキスだなんていやらしー!って目しか持ってなかったからなあ。セックスのこともオナニーのことも恋愛感情のあれこれも、知らないこどもだった。
だけどそんなよくわからないままに買った雑誌も、そういうことを知っているおとなが見たら、「とんでもない雑誌」であるわけで、わたしはその雑誌を母に見つけられて注意された。お風呂に入ってたら母も入ってきて、逃げ場のない場所で、「あの本って・・・」って切り出されたんだ。全部はわからなくても「いやらしい本」であることはわかっていたので、すごく、すごーく恥ずかしかった。
処分するにはもったいなくて、中学生にしては無理してお金を出した本だったし、創刊号だし!貴重っぽいし!ってことで捨てられなくて、隠してしばらくは持っていたなあ。
当時、「あしたのジョー」を見て、「きゃー!やらしいわー」って頬を赤らめていたひとたちって、やっぱしいたんだよなあ。そのひとたちももう50とか60とかいってんのかな。
こどもの頃は、暗くて、汚くて、陰惨で、痛くて、気持ち悪くて、恐くて、「あしたのジョー」を見るのは、アニメ好きのこどもとしては、「アニメだから」仕方なく見るものでしかなかったけど、おとなになったら暗いのも汚いのもすっかり平気になったなあ。尾藤イサオの歌う主題歌の良さだってわかるようになった。力石徹のテーマも、うおおっとかいえぇぇいって叫ぶのが、ぎゃー!カッコわる!って思っていたのが、今聞いたらすごくカッコよかった。
不思議だな!
あしたのジョー」を見ながら一生懸命、力石や段平の顔を描く練習をしてました。ごつごつしていて難しいんです。でも、なんかほら、ポイントがわかったっていうか、すらすらって描けるようになってやった!って感じ。
力石がカッコよく描けるようになってやった!って感じ。だって力石はほんとにほんとにカッコいいんだもん。カッコいいってひとはカッコよく描きたいじゃないですか、ねぇ。
***
「BSアニメ夜話」番外編みたいなのもやってたけど、岡田斗司夫がすーんごくやせててびっくりしたー。太っててもよかったのに・・・。
島本和彦船越英一郎が縦にのびたような顔だった。
香山リカの、「あしたのジョー」は格差社会を予見している、とかいうのはさっぱりぱりでがっかりだった。ハズレゲストと思っていた国生さゆりのほうがよっぽどうなずけることを言っていて、ちぇー!って思った。