ゴスロリ服

萌理賞に投稿したイラストは、ゴスロリ浴衣を描きたいという気持ちから描きましたが、「萌対象」以外の人物を配置するとそこに自然と関係性であるとか物語であるとかが浮き上がってきます。ゴスロリな女の子は描く分には楽しいけど、そういった服をどうして着ているのかという背景を無視することができません。単なる「萌」要素のひとつとして捉えればいいのだろうけど、あまりにその姿は非日常的で、今ではテレビや雑誌や映画の力でこれもひとつのファッションだと知られているけど、それでも街中でゴスロリ少女に遭遇するとぎょっとします。
そのファッションにまず目を奪われて、「ゴスロリを見た!」という感想で終わる。顔の造形やスタイルをあれこれ思う前に「ゴスロリだ!」なのだ。
ゴスロリ浴衣をはじめて見たとき、なんて趣味が悪いんだろうと思いました。ゴスロリファッションを愛するならそのスタイルを守るほうがずっと潔い。浴衣が着たいならゴスロリ美学に沿うような柄を探すとか帯の締め方を工夫するとかすればいいのに無理やり合体させるなんて、変なゲームキャラのコスプレ衣装のような中途半端さにはびっくりです。
でもそれでも「ゴスロリ浴衣」と名がついて、かつ一目でそれとわかりやすいものを選ぶとすれば、そのひとには美意識よりも「ゴスロリコスチューム」に身を包まなければならない理由があるのだろうと想像します。
投稿したイラストの女の子はそういう理由をもってゴスロリ浴衣を着ているのです。男の子は夏休みが終わったら学校で彼女のことをからかわれるでしょう。「お前の彼女、かわいーんだってな」じゃなくて、「ゴスロリなんだってな!」ということで。クラスメイトの女の子たちは顔なんて印象に残ってません。ただ「ゴスロリだった!」ってことだけが頭に強く残り、それを笑うのです。