School days/感想

誠と付き合う前の言葉はどんな女の子だったんだろう。クラスでは女子にうとまれ、孤立していたようだがそれでもなんとか日々をやり過ごしていたのではないか。それがある日、世界という友だちが出来、誠を紹介され、付き合うことになる。お昼にはふたりの分の弁当も作って来たりして、かなり張り切ってた様子。
好きだと言われること。求められることは、他人から自分を承認されるということ。自分の価値を感じられること。クラスでいじめられうつむいていた言葉にとって、「わたしは誠くんの彼女です」と宣言することは、周囲の人間に、「わたしには価値がある」と知らしめることだった。言葉が誠のことを好きだったかは疑問なのだ。自分を好きだと言ってくれたひとだから、離れがたかったのではないか。「彼女になったから」誠を理解し、受け入れようと努力したのではないか。
誠に去られるということは、また元の価値のない自分に戻るということ。自分ではなく世界を選ぶということは、自分には価値がないと思い知らされること。
クラスの女子にからまれたとき、ずっと気弱に謝り続けていた言葉が、誠との関係を疑われた途端、きっと前を向き、「わたし、誠くんの彼女ですから。誠くんから告白されて付き合ってるんですから!」と、強気な態度を見せる。そうした言葉の「彼女宣言」は何度も出てくるが、そう主張するときだけ、言葉は力をみなぎらせるのだ。
誠の両親は離婚しているようだけど、別れることからあれほど逃げるのって、そこにトラウマでもあるのだろうか。単に弱いだけなのか。関係を終わらせることのつらさ。それを自分がしなくてはいけないなんて考えるのもイヤだ。きつい。めんどくさい。相手の傷つく顔を見たくない。なじられたくない。恨まれたくない。あいまいなまま終わりにしたい。少しずつ離れて、相手にそれを悟って欲しい。
自分が受け入れられないと途端に不機嫌になる。でも困っている子を見るとすっと手を差し出すやさしさはある。そこに下心は微塵も見られない。それが女の子をひきつける。
世界と寝たことで誠は、「女の子って案外カンタンだなあ」って思っちゃった気がする。特に自分に気のある女の子はカンタンで楽だ。
言葉以外の女の子たちは「彼女」というポジションにはいないけれど、だからこそ、それでも誠のことが好きだという自分の思いに自覚的だ。だから自分の思いに従って行動を起こす。それぞれ言い訳しながらだけど。
世界は「友だちでいいから」誠のそばにいようとしたし、刹那は「世界のために」と言いながら、自分が部外者ではないことを主張し、誠に関わろうとした。乙女は「女として見られるようになっただけでうれしい」と、身体だけの関係でも、自分を納得させようとしている。
スクールデイズ」ってくらいだから、学校卒業しちゃったら誠のことも、高校時代の思い出として語られるだけだったんじゃないかなあ。世間を知ったり、気持ちが冷めれば誠がくだらない男だってことも見えてくる。
「あのころ、なんであんな男に夢中だったんだろうね?」
って笑い話で終わる。
高校生活、彼氏(彼女)が出来たら、きっと毎日が充実して楽しいだろうなあー!って夢見る十代は多いかと思う。学生時代、彼氏(彼女)が出来てたら、きっと毎日が充実して楽しかっただろうになあー!って過ぎ去った日を懐かしむおとなも多いかと思う。けれどそうした楽しい(であろう)日々を送れるのは、選ばれた人間のみなのだ。
言葉はそういった点で選ばれた人間である。容姿にめぐまれ、ナイスバディでお嬢さまな言葉はひとからはそうした日々を送れる「選ばれた人間」決定!であるように見える。だからねたまれいじめられる。
好きという気持ちに翻弄され、いい加減な男に身体を任せる世界たちも、見ている人間には「あーあ」とため息をつかれる。
そして女子バスケ部のセンパイたち。最初あのひとたちも、そうした隠し撮りの洗礼を受けて辱めを受けた経験があるひとたちなのだろうと思っていたが、実は、いちゃいちゃカップルを呪っている、もてない女たちの集団だったのではないか。自分たちにはめぐってこない甘い時を過ごすカップルに制裁を!
恋!青春!友情!の学生時代なんてゲンソーだよねー、と「スクールデイズ」という作品は語って(騙って?)(偏って?)いるのだ。