好きだった歌


もう何も見えないもう聞こえない、って何だったっけ?そうだ純ちゃんの歌だ。純ちゃんの歌だ。
若い女の子の日記に見つけた一文。
むかしすごく夢中になって、繰り返し聞いていた。ツアーでこっちにくればライブにも行った。ひとりで行った。自分が好んで聞いていた音楽で、ひとに優越感を感じたことなんてない。こんなにいいのに。こんなに胸に響くのに。と思っているのはわたしだけで、周りのともだちには「またヘンな歌聴いて」って苦笑されていた。それでももしかしたら、誰か、この音楽をいいって言ってくれるひとがいるかもしれないと期待して、すすめてみたり、スキーの移動中の車内でかけてみたり、もういいからいいからって苦笑されることばっかりしてた。一緒にいいよねって言える相手が欲しかっただけだったんだけど、そのうちあきらめた。
言わなくなった。わたしが好きな音楽のことはひとには言わなくなった。
そしてとしをとって、音楽が隣になくても平気になった。
ネットをやり始めたころびっくりしたのは、自分がマイナーだと思っていた音楽を好きなひとが、これでもかってくらいあふれていたこと。自分の立ち位置がわかんなくなってしまうくらい。はやりの音楽を聞くひとの俗っぽさと同じくらい、自分もある種のベタな人間だったってことを知った。劣等感も卑屈な気持ちも、裏返せば優越感だったの?
のめりこむようにして聴いていた熱も冷め、共有することの喜びを欲することも空しくなって、わたしが自分の好きな音楽のことを語ることはない。今特別好きな音楽はないし、昔好きだった音楽のことを、あえて自分から口にするのもイヤ。一過性のアイドルの歌の話のほうが全然いい。全然平気で出来る。
すっかりおとなになったと思っているのに、こんな風にときどき、自分の中にあるかたくなさというか、青さというか、ややこしい感情を見つけてうんざりしてしまう。若かったときのことなんて忘れちゃったって顔して過ごしているのに、なに今も継続中?みたいなうんざり感。継続中なのか染み付いちゃってるのかはわかんないけど、若かったころ好きだったものについて語るのはすごく苦手かも。あんなに好きだったのに、あんなに夢中だったのに、今は語ることばを失っているからなのかも。