ハウルの動く城

先週テレビでやってたのを見ました。映画館で観たとき、ソフィーの心情がわかりすぎて泣いてしまいました。華やかで軽やかな母親や妹に比べ、なんと自分のくすんでいることか。だけど「若い女」であるソフィーは「若い女」として扱われるし、そうした視線を向けられる。美しくないわたし。兵士に声をかけられたときのかたくなな態度。劣等感故の敵意。わたしに声なんてかけないで!って思ってる。
老婆の姿になったとき、ソフィーははじめて自由になったの。「若い女」じゃなくなったから、常にだれかの視線を気にしなくちゃいけないような、評価されるような対象じゃなくなったから、すごく自由になって好き勝手なこと言って、わがままになれたの。掃除や料理には自信があったし、その能力が存分にふるえるハウルの城に、自分の居場所を見つけることができた。「若い女」じゃなくなったソフィーは男の「対象外」になることで、男のそばで自由にふるまえる力を得たの。
だけど、髪のカラーリングがうまくいかず落ち込むハウルの、「美しくなければ生きている意味なんてない」というつぶやきにソフィーは傷つき、思わず叫んでしまう。
「わたしなんて、美しかったことなんて一度もないわ!」
そうしてさらに自分の言葉に傷つき気づいてしまう。女としての自分の劣等感に。
ハウルのきれいな顔、ダメなところ、意気地のないところ。完璧で隙のないひとより全然いいと思う。助けてあげたいと思うし、自分が助けになれるとわかればすごくうれしいと思う。利用されてるって見方もできるけど、好きなひとに必要とされたらうれしいんだもん。
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宮崎アニメは女の子のパンツが見えすぎという感想をときどき見かけるので、ソフィーのパンツが見える場面も気をつけて見てみました。だけどやっぱりいやらしいとは思わなくて、わたしは、女の子のスカートっていうのは風を表現するのにすごくいいものって思っているので、強い風の中にいるんだなあ、っていうのを感じただけでした。
それにわたし自身、ふんわりしたスカートは好きだし、風がスカートの中に入って、ふわあってふくらむのを見るとわくわくしてしまうんです。ソフィーのはいているのがドロワーズってところもかわいい。尻にぴったりとはりついた三角パンツは「いやらしい」けどフリルとギャザーがいっぱい寄ったドロワーズは「かわいい」。「大草原の小さな家」や「赤毛のアン」でもドロワーズが見えるとドキドキしたなあ。かわいくて!
最後のへん、おババのソフィーがちっちゃい子から悪魔からかかしから、モテモテ!っていうのも好きです。かかしや悪魔にはソフィーがおババには見えてなかったかもしれないけど、「若い女」じゃなくてもみんなに必要とされて、そういう場所が見つかって、ソフィー、良かったね!って思う。