高畠華宵

先日本屋さんに寄ったら高畠華宵の特集号があったので買いました。

prints (プリンツ) 21 2008年秋号 特集・高畠華宵 [雑誌]

prints (プリンツ) 21 2008年秋号 特集・高畠華宵 [雑誌]

昭和の叙情画家と呼ばれたひとたちでも、中原淳一、藤井千秋、藤田ミラノ、蕗谷虹児のムックは持っていたけど、高畠華宵はあの艶っぽい目が苦手でね、敬遠してたのです。影響を受けたという丸尾末広の絵は好きだったのに、よくわかりません。たぶん、丸尾末広は、いかがわしいまんがでいかがわしい絵だったから良かったのです。高畠華宵は健全と思える抒情画の世界で色気を放っていたので、若いわたしは、イヤだなあと感じたのだと思われます。amazonで衝動買いした「美少年手帖」は、この高畠華宵の特集号を見て急に欲しくなったのですが、華宵の描く少年は、少女と変わんないのね。同じ顔で、同じように艶っぽいの。
amazonのレビューにも書かれてたけど、「腐女子の目から見た華宵の絵」という、座談会のようなページがあって、なんでこんなページが、と思いました。何でもないところから、艶っぽい関係や物語を読み取り生み出すのが腐女子視点の面白さなのだとしたら、元々艶っぽい華宵の絵から、そういうものを語るのはつまらないことだと思うんだけど、これも現代のひとつの視点として押さえておきたかったのかなあ。

レトロ流行り

昭和レトロだとか、アンティークきものだとかが流行りだしたのっていつくらいだったのかな。河出書房新社の「らんぷの本」シリーズは、「失われたものの記憶・少年少女の時代へ」というのがテーマのようだけど、油断してるとどんどん買ってしまうのでなるべく買うの我慢してます。それでもけっこう持ってたりして、うまいこと乗せられてる感がたまりません。
以下、わたしが持ってる本です。

少年少女レトロ玩具箱 全集・シリーズらんぷの本

少年少女レトロ玩具箱 全集・シリーズらんぷの本

楽しきわが家―少女スタイルBOOK (らんぷの本)

楽しきわが家―少女スタイルBOOK (らんぷの本)

思い出の名作絵本 武井武雄 (らんぷの本)

思い出の名作絵本 武井武雄 (らんぷの本)

竹久夢二―大正モダン・デザインブック (らんぷの本)

竹久夢二―大正モダン・デザインブック (らんぷの本)

これは最近ひとにゆずった本だけど、良い本でした。
本と女の子 おもいでの1960-70年代 (らんぷの本)

本と女の子 おもいでの1960-70年代 (らんぷの本)

こちらは最近買った本だけど、amazonで衝動的にぽちっとな!としてしまった本なので、まだ読んでないです。前に本屋さんで迷って買わなかった本たちなので、どうなのかな。
女学生手帖―大正・昭和乙女らいふ (らんぷの本)

女学生手帖―大正・昭和乙女らいふ (らんぷの本)

昭和美少年手帖 (らんぷの本)

昭和美少年手帖 (らんぷの本)

河出書房新社のサイトの在庫一覧を見ると「らんぷの本」と「らんぷの本/マスコット」と、シリーズがふたつに分かれていることを知りました。どういう違いがあるんだろ?と思って発行日を昇順で見てみると、「らんぷの本」は2000年に発行されたのが最初みたい。対して「らんぷの本/マスコット」は2002年5月発行の「少女スタイル手帖」が最初で、対象を「乙女」だとか「女子」と呼ばれる女性にターゲットを絞ってるっぽい。
世にアンティークきものブームを起こした「KIMONO道(姫)」が発行されたのが2002年の4月。
アンティーク&チープにKIMONO道 (Shodensha mook)

アンティーク&チープにKIMONO道 (Shodensha mook)

同じころ出たと思ってたけど「きものであそぼ」は同年の8月発行なんだねぇ。
きものであそぼ―カジュアルに着る、粋に遊ぶ1万円でできるお洒落な着物スタイル

きものであそぼ―カジュアルに着る、粋に遊ぶ1万円でできるお洒落な着物スタイル

2002年にこれからレトロ好き乙女の時代が来る!って兆候でもあったのかな。それとも何かひとつ、ばーっと売れて、流れが出来たのかな。自分の好きなものや興味のあるものの本がたくさん出るのはうれしいんだけど、元からこういのが好きだったのか乗せられてんだかって、ふと情けない気持ちになっちゃったりもするんだよねぇ。とほほ。

愛しのルネ先生


5月に内藤ルネ展に行ってきました。残念なことに内藤ルネは、2007年の10月に亡くなってしまったので、地元愛知の展示会に顔を見せることはありませんでした。チケットの形がすごくかわいくて、買った目録にはさんでとってあります。(目録を読むとはらりと落ちてしまうので要注意)
原画はほとんど残っていないとのことで、当時の雑誌が紹介されてましたが、わたしは雑誌という形態が好きなのでそれほど不満には思いませんでした。「ジュニアそれいゆ」で手がけたという目次のレイアウトのかわいらしさ、カッコよさ。ルネのセンスのよさがうかがえます。少女まんがっていつから描かれたのかな。「ジュニアそれいゆ」は少女まんが雑誌ではなかったけれど、大きな目とくっきりした輪郭で描かれたルネの少女たちは、非常にまんが的で、師匠の中原淳一とも全然違うポップでキュートな輝きを放っていて、当時にしてみればものすごく斬新なものではなかったのかなあ。
ウィキペディアを見ると手塚治虫の「リボンの騎士」は1963年から「なかよし」に連載されてるし、「なかよし」も1954年に創刊されてるんだね。ルネも多少はそうしたまんが的表現に影響を受けていたりするのかな)
少女雑誌での活躍以降の、おとなっぽい、どこか影のある少女の絵は、正直苦手だったんだけれど、今回改めて見てみたら、だんだん好きになってきました。人形のような無表情とうつろな目がイヤだったんだけど、どうしてルネはこういう女の子ばかり描いていたのかなあ。
ルネはかわいいものグッズでも一大ブームを作ったひとだった。ルネのデザインしたポップでかわいらしい陶器のパンダの貯金箱。イラスト。クラスのみんなが真似して描いていた。トマトのシール。親戚のおばさんも冷蔵庫に貼っていた。だけど流行りものってすぐに飽きられる。消費者が勝手に飽きるんだけど。その頃こどもだったわたしでも、あんなに夢中だったくせに、ブームが去ったとたん、ルネのデザインしたものたちを、「古くてださいもの」として扱った。それまでになかった新しいものを生み出していたひとだから、古くなるのも早くって、ルネの手がけた絵やグッズを追いながら、懐かしさとともに胸が痛くなりました。

ルネのファンが有志で集い、「それいゆ手芸集」の型紙などをもとにした再現人形を展示するトリビュート展「I LOVE RUNE」を、2001年から02年にかけて3回開催し、当時、忘れられつつあったルネの魅力を発信した。イラストレーターの森本美由紀が発起人となり、人形作家、手芸家、映像作家、ジュエリーデザイナー、バッグデザイナー、グラフィックデザイナー、会社員、雑貨店や古着屋に勤務する方など、さまざまな業種から20数名の参加者があった。
目録p.21

こうした有志による展示会がなかったらルネの仕事が再認識されることはなかったのかな。

この本も2002年発行だし、プリンツ21の内藤ルネ特集も2003年だし、師匠の中原淳一はとっくにムックやイラスト集が出されていたのに、ルネはどうしてこんなに忘れられた存在だったのかな。
内藤ルネ自伝 すべてを失くして―転落のあとに

内藤ルネ自伝 すべてを失くして―転落のあとに

ちょっとお値段が高くて迷ってましたが、ルネの自伝も読んでみたくなりました。

シェイミ


ポケモン映画は家で見ればいいやと思ってましたが、シェイミレジギガス欲しさに前売りを買ってしまいました。夫は付き合ってくれないのでひとりで見に行く予定です。地元のポケモン友達(略してポケ友)、探そうかな・・・。
あ!今日はもうすぐ、パルキアディアルガダークライがやるので早くテレビの前に行かなきゃです。急げ急げ!

イベントを終えて

先日、人形のイベントに行ってきました。出展するにあたってずっとちくちくと製作にはげんでいたのでこちらはさっぱり更新することが出来ませんでした。絵を描くことは、わたしにとって、ぽやーっと出来る楽しみです。イベントが終了して、ようやくぽやーっと描ける時間が出来て、嬉しいけれど気も抜けてます。
わたしの隣の出展者はテディベアを販売していましたが、暇な時間、ずっと編み物をしていました。ベアを売ってるくせに、ベアを作るのはイヤだ、疲れる、気が重くなる、と言っていました。編み物はこどもの頃からの趣味で、ベアを作るのに疲れると、編み物をしてこころを休めると言っていました。ひとから見ればちまちまと手を動かし続けている様は、とても休んでいるようには見えないのですが、無心で集中できる楽しみってあるんですよね。自分の作るものに値段をつけるようになると、それは楽しいだけではすまないものになってしまう。だけど、自分の作ったものにそれなりのお金をいただくことは、ひとさまに認めてもらった喜びとありがたみを感じることでもあります。
参加したイベントは創作人形がメインのイベントと思っていましたが、今回企業のブースが大きく作ってあって(去年もあったのかしら?目に入らなかっただけなのかしら?)ここで先行販売されるという人形に開場前から行列が出来ていて驚きました。4〜5万のお金がぽんぽん飛び交ってるの。
わたしはまんが絵の女の子が好きなくせに、なぜかこの類の人形には食指が動かされなくて、しらーっとした気持ちになってしまうのが不思議です。
近くに行って写真を撮りました。

かわいいしきれいだな、というのはわかるんです。大きな目とか、小さな鼻とか、さらさらしたした金色の長い髪だとか、非常に記号的。でも、この子たち、遠くから見たら清楚な少女や〜と思っていたのが近くで見たら、すんごいでっかいおっぱいで、げんなりしました。顔と身体が合ってなくないかなあ。もちろん、ぺたんこ胸の子たちだっていたのですが、なんかね、あざとさが目に付いてしまって、こころが動かされないのです。
エロゲの女の子に感じる苛立ちがそこにはあって、でも買っているのは女のひとが多くて、はー、よくわかんなかったです。

こんな困難ちゃん


困難ちゃんは生きるのが困難な女の子。あんまり困ったことに遭遇するのでたましいが傷つかないように、たましいを自分から切り離す、という術を身につけました。たましいを切り離すと、自分に起きたどんな困難なことでも他人事のように受け入れることが出来るのです。だからたましいの抜けた困難ちゃんは感情が無く、表情というものもありません。何があっても平気のへーな顔をしています。しかしあんまりひんぱんにたましいを切り離していたもんですから、とうとうたましいがどっかに飛んでいってしまいました。たましいだって傷つくのは嫌なのでふわふわ気ままに漂っていたほうがいいのです。たましいが抜けてから困難ちゃんは傷つくこともなくなり、生きるのも楽になったかのように思えましたが、それと同時にうれしいと感じることも、楽しいと感じることもなくなりました。そして、たましいの抜けた困難ちゃんの元に死神さんが現れて、「アンタ、死んでるのと同じだよ」と言いました。
困難ちゃんは生きるために、離れたたましいを探す旅に出ることにしました。困難ちゃんを哀れに思った死神さんが一年の猶予を与えてくれたのです。お供には困難ちゃんのことを大好きなまゆげ犬もいます。(笑えるかと思って困難ちゃんがまゆげを描いた犬。笑えなかった)犬は鼻がいいので困難ちゃんのたましいを見つけるのにきっと大きく役に立つことでしょう。
果たして困難ちゃんは自分のたましいを見つけることが出来るのでしょうか。